「A Dream Within A Dream」は、エドガー・アラン・ポーが40歳で亡くなった1849年に書かれた詩です。それだけに、ポーの絶唱という趣があります。
詩の形は、11行の2連、2行ないし3行の脚韻を踏んで整然としています。そこには死に望む激情が込められていますが、それをポー自身の絶望と判断するのは、少し違うのではないかと思います。
詩の内容です。
前半の11行では、自分の人生が夢であったとしても、何かしらを残せたのではないかとの自負が感じられます。ポーの人生を通して作り上げた文学は、他人から見れば現実の人生から乖離した「夢」であるかもしれないが、その残したものはけして小さなものではない、という自負です。最初の行で額にキスする相手は、特定の親しい人とも採れますが、生(Life)の擬人化したものであるように思います。そして次の「あなた」も特定の人ではなくて、自問自答による仮想の相手と思われます。
後半の11行では、前半の自負心が崩壊しはじめます。あらためて、自分の残したものを考えると、採るに足るものは僅か、それさえも自分の不遇な人生と、世間の無理解をもってすれば、指先からすり落ちるように消えて行ってしまうという危機感が自らを苛めて、悲壮とも言うべき感情の破綻になっています。
この前半と後半の感情の落差の対比が読む者の心を振り動かしますが、ポーがけして感情の赴くままに書いたものではないことも確かです。後半の激情は「While I weep–while I weep!」の言葉でピークに達し、その後は静かにフェードアウトします。技巧的にも「One from the pitiless wave?」の「One」を続く、「Is all that we see or seem」の「all」と対比させるなど、極めて理性的な配慮です。「A Dream Within A Dream」は、訳せば「夢の中の夢」ですが、夢のように儚い人生を強調している言葉です。そして、その言葉をより強調しているのが、後半の激情的な言葉の数々と言えます。
このように、この詩もポーの他の詩と同様に、極めて理知的な推敲を経て作られたものであることが分ります。するとひとつの疑問が生じます。ポーは晩年になって、精神に破綻をきたしたという説は本当なのでしょうか?精神に破綻をきたした人物が、このような詩を書けるのでしょうか?ポーをダークスピリットの作家という人もいます。ポー自身がダークスピリットを持っていたというよりも、世の中や、人々の中にあるダークスピリットを探求し、文学の範疇を拡げた作家であったという意味では正しいと思います。しかし、その作品は鋭敏な理性が作り上げたもので、内面的な狂気によるという意味では、間違っていると思います。

A Dream Within A Dream 1849

Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow–
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone ?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.

I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand–
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep–while I weep!
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?

A Dream Within A Dream(訳詞)

この接吻を額に受けてください!
そして、今こそあなたと離れのとき、
だからこそ、私が語るままにさせてください。
あなたの過ちではありません。
私の日々は一つの夢だったと思われようと、
けれど、もし
ある夜に、あるいはある日に、
ある幻影に、あるいはある虚無に、
希望が消え失せたとして、
だからといって、それは些細なことだったのだろうか?
私たちが見、あるいは感じる全ては、
夢の中の夢でしかないと。

私は、渚を苛む波の轟きの、
中に立っている。
そしてわたしが手にしているのは
金色の砂の一握り。
なんと僅かな!けれど、それらですら
わたしの指先から深みへとすり落とそうというのか、
私が嘆いている間に、私が嘆いている間に!
おお、神よ!私はそれらを
もっと確かに掴み止めることができないのですか?
おお、神よ!私は守ることはできないのか
一つなりと、この情けを知らぬ波から?
私たちが見、あるいは感じる全ては、
夢の中の夢でしかないのですか?

余談ですが、江戸川乱歩の有名な座右の銘「うつし世は夢、よるの夢こそまこと」は、意味合いは違いますが、ポーのこの詩の影響があって書かれた物だと思います。

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