Get Happy
ジュディ・ガーランドにとってMGM最後の作品「サマー・ストック」(SUMMER STOCK 1950)で歌われるGet Happyです。ジュディ・ガーランドとジーン・ケリーの最後の共演作品です。素晴らしい歌唱とダンス、そしてなんと魅力的な衣装デザイン、当時のMGMミュージカルのセンスの良さと質の高さが分ります。

ミュージカル映画は、第二次世界大戦の慰問のために発展した映画のスタイルです。MGMは「巨星ジークフリート」というアメリカのレビュー王の生涯を描いた大作のヒットを機に、ジークフリートの名を冠したミュージカル・レビュー映画に力を入れました。これがMGMがミュージカル映画製作の代表的な会社となった所以です。このため、MGMには若くて才能ある、歌って踊れる女優の予備軍が多く集まりました。ジュディ・ガーランドもその中の一人です。

ジュディ・ガーランド(Judy Garland :1922-1969)は、とても素晴らしい才能に恵まれた人ですが、その生涯が全て順調であったわけではありません。そのデビューもシンデレラガールのように華々しいものではなく、当時人気となったディアナ・タービンの短編映画「アメリカーナの少女」での共演でクレジットタイトルに載る役を掴みました。1938年頃からは、ミッキー・ルーニーの相手役として「アンディーとハーディー」シリーズに出演しました。天才子役であったミッキー・ルーニーとは、この頃からの公私を超えた生涯の友人となりました。ミッキー・ルーニーとコンビを組んで裏庭ミュージカルと呼ばれる低予算の映画に出演していたジュディ・ガーランドはとても溌剌としていました。気のあった友人との仕事は彼女にとっても生涯で一番幸せな時期だったのではないでしょうか。
ジュディ・ガーランドに本当のチャンスが巡ってきたのは、1938年のロバート・テイラーとエリナー・パウエル主演の「踊る不夜城」(Broadway Melody of 1938)の出演で、Everybody Singを歌っています。この映画の翌年になってようやく大作ミュージカル映画「オズの魔法使」(The Wizard of Oz 1939)の主演を果たしました。その後は順調な経歴と人気で、1941年には「ジークフリート・ガール」(美人劇場)にジェイムズ・ステュアートとともに主演、「ジークフリート・フォーリーズ」「若草の頃」「雲が流れるまで」などを経て、1948年にはジーン・ケリーと共演した「踊る海賊」、フレッド・アステアと共演した「イースター・パレード」などMGMを代表するミュージカルに出演しています。「踊る海賊」を監督したヴィンセント・ミネリと結婚しましたが、この頃から薬物依存の症状が悪化しました。天才的な歌手・女優であった彼女は、同時に繊細な神経の持ち主で、MGMの看板女優としてのプレッシャーが彼女を精神的に追い詰めたのかもしれません。

1954年のジョージ・キューカー、レイ・ハインドーフ.監督作「スタア誕生」(A Star is Born)では素晴らしい演技と歌手としての存在感で、ジュディ・ガーランドの健在振りを示しました。オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」でのデビューに当らなければ、この年はジュディ・ガーランドの再生と復活を祝うべき年でした。後年のTV「ジュディ・ガーランド・ショウ」の数々の名唱と1961年の名匠スタンリー・クレイマーの監督作「ニュールンベルク裁判」(Judgment at Nuremberg)の筆頭女性役での迫力ある演技はいつまでも記憶に残っています。映画女優として歌手として、とても偉大な功績を残したジュディ・ガーランドの光と影は、いつまでも往年の映画ファンの心に刻まれています。


ジュディ・ガーランドの壁紙1

ジュディ・ガーランドの壁紙2

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ジュディ・ガーランドWikipedia
Judy Garland:Wikipedia

2 thoughts on “ジュディ・ガーランド:Judy Garland”

  1. monami さん

    コメントありがとうございます。
    ジュディ・ガーランドの壁紙、是非使ってください。きっと、楽しい映画の場面が思い出されると思いますよ。

  2. ザッツエンターテイメントに衝撃を受け
    さかのぼり鑑賞をしてまいりました^^

    素敵な画像頂戴いたします^^

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