Pink Floyd – The Great Gig in the Sky. Delicate Sound of Thunder (film) 1989

And I am not frightened of dying. Any time will do; I don’t mind.
Why should I be frightened of dying? There’s no reason for it—you’ve gotta go sometime.

I never said I was afraid of dying.

リチャード・ウィリアム・ライト(Richard William Wright, 1943年7月28日 – 2008年9月15日)を偲んで・・・

「Great Gig in the Sky」は、おそらく「ダークサイ・ドオブ・ザ・ムーン」(dark side of the moon)のアルバムでも、最も印象的な曲、アルバム収録のバージョンは作曲のリック・ライト(Richard Wright)とレコードィングでボーカルを務めたクレア・トリー(Clare Torry)のパフォーマンスと即興が作り上げた傑作です。
上の言葉は曲中に流れるものです。その解釈はいろいろ考えられますが、曲のテーマは人間の尊厳ある「死」だと思います。「ダークサイ・ドオブ・ザ・ムーン」のコンセプトは人間の持つ物質的、精神的な束縛、畏怖、欲望などをテーマにしています。アルバムタイトルから言えば「月の翳り」(dark side)であり、レクイエムとも思える曲です。

『P.U.L.S.E』(The Division Bell Tour)よりShine On You Crazy Diamond
ピンク・フロイドは1993年の再活動とともに行われた「The Division Bell Tour」コンサート・ツアーです。

ピンク・フロイド:Pink Floyd

ピンク・フロイド(Pink Floyd)は、初期はサイケデリック・ロックのグループとして出発しました。ここでは初期のアルバムとその後の活動についてのメモを書きます。

「夜明けの口笛吹き」(The Piper at the Gates of Dawn:1967)では当時のリーダーであったシド・バレット(Syd Barrett)の音楽性が色濃く、イギリスのロックグループらしい牧歌的で幻想的、言い換えれば伝統的な神秘性を志向していました。
セカンドアルバム「神秘」(A Saucerful Of Secrets:1968)では、製作途中でシド・バレットがグループを脱退してこともあり、前作の牧歌的な雰囲気は薄れて、現在に至るコンセプト・アルバムの方向性が示されています。ピンク・フロイドにとっては一番サイケデリックなアルバムです。
1968年のサウンドトラック・アルバム「モア」(Soundtrack from the Film More)、1972年のサウンドトラック・アルバム「雲の影」(Obscured by Clouds)は映画のサウンドトラックであるため、アルバムとしては少し散漫な印象を受けますが、曲調に変化がありファンとしては楽しめるものです。
「ウマグマ」(Ummagumma:1969)は、ライブとスタジオ録音で構成されたもので、ライブは前作までの作品から選ばれた曲を収録しています。グループ初期の熱気あるライブが聴けます。スタジオ録音は極めて実験的な音楽です。
「原子心母」 (Atom Heart Mother:1970)は、クラシック音楽を思わせるような「Atom Heart Mother」と実験的な電子音楽「Alan’s Psychedelic Breakfast」の二つの組曲を中心に構成されたもので、このアルバムあたりからプログレッシブ・ロック (Progressive rock)という言葉が使われました。
おせっかい(Meddle:1971)は「吹けよ風、呼べよ嵐」(One Of These Days)、「エコーズ」(Echoes)が印象的ですが、「A Pillow Of Winds」「Fearless」「San Tropez」「Seamus」の各曲もグループのポップス面が窺われて楽しめるものです。
1973年の「狂気」(The Dark Side Of The Moon)は、ピンク・フロイドの人気が世界的になった記念的なアルバムでロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)のコンセプトを中心とした音楽作りで、アルバム全体で一つのテーマを持たせるという、その後のアルバム作りのスタイルが完成したものと言えます。

続く1975年の「炎〜あなたがここにいてほしい」(Wish You Were Here)、1977年の「アニマルズ」(Animals)、1979年の「ザ・ウォール」(The Wall)でピンク・フロイドのスタイルは確立します。ただ一つのスタイルの完成はマンネリズムの始まりとなります。1983年の「ファイナル・カット」(The Final Cut)以降のアルバムが、その完成度の高さに係わらず、アルバムの売上げが伸び悩んだのもそれが一因であると思います。またマンネリズムはグループ内の人間関係を悪化させました。(これは企業でも同じですね。)この時期にグループは活動を休止しています。
1994年の「対」(The Division Bell)製作でグループは再結成し、あらたに世界的なライブツアーを行いました。多額の設備、照明を使った豪華なもので、この「The Division Bell Tour」のスタイルはその後のライブに大きな影響を与えました。ただ、これは極めて商業的でもあり、ビジネスとしてのロックの頂点でした。また長い歴史を持つピンク・フロイドというロックグループの総括的なツアーでもありました。

ピンク・フロイドWikipedia

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