カレル・ゼマン「ほら男爵の冒険」: Baron Prášil – Baron Münchhausen

「Prášil:プラシル」はチェコ名の「ミュンヒハウゼン」の意味で、「Baron Prasil」は日本では、その内容から「ほら男爵」と訳されています。西欧圏では「ミュンヒハウゼン男爵の冒険」で物語が出版されたことで、広く知られています。ゴットフリート・ビュルガー(Gottfried Burger)の小説とギュスターヴ・ドレ(Gustave Dore)の挿画が有名で、カレル・ゼマンはこの再現を実写とアニメーションの合成で行っています。

ミュンヒハウゼン男爵(Baron Münchhausen/ Baron Munchausen:1720-1797)はロシア帝国の実在した人物で、軍人としてトルコ戦争に従軍して、帰還すると周囲の人々に数多くの奇想天外な武勇談を語ったことから、「ほら男爵」と呼ばれるようになりました。精神病における虚偽性障害の心理的傾向 「ミュンヒハウゼン症候群」は彼の名前にちなんでいます。彼の物語は1781年に収集され、1785年にはロンドンで出版されています。その後も新たなエピソードが追加されながら書き直されて今日に至っています。
この物語は映画創世記から数多く映像化されています。製作する国はヨーロッパ圏が多いようで、アメリカでは1933年にウォルター・ラング(Walter Lang)監督の「Meet the Baron」のみです。傾向としては王政、爵位制度がある、或いはあった国に人気があるようです。1911年にはフランスのジョルジュ・メリエス(Georges Méliès)監督も「Baron Munchausen’s Dream」を製作しています。数ある映画には物語同様にいろいろなアイデアが持ち込まれていますので、作品毎に違った味わいがあります。その中でも傑作は、カレル・ゼマンのこの作品と、1988年にイギリスのテリー・ギリアム(Terry Gilliam)が監督した「Baron Munchausen」です。おそらくカレル・ゼマンはジョルジュ・メリエスへのオマージュ、テリー・ギリアムはカレル・ゼマンへのオマージュとして製作したものです。それはいくつかの演出でも分ります。過去の偉大な映画を観て感動し、長年の間にイメージが増幅して新たな作品となったもので、原作自体がそれを許容し、また想像力をかき立てる魅力を持っているのです。

「嘘」は楽しめるものではありませんが、明らかに有り得ないと分る「ほら話」は、エンターテイメントとして楽しめるものです。ミュンヒハウゼン男爵が語った武勇伝、女性遍歴の物語は、近世ヨーロッパの人々には夢多き娯楽として受け取られたのです。現代ではこの種の「ほら話」は、ハリウッド映画やファンタジー小説、コミックの分野として珍しいものではなくなりました。
カレル・ゼマン「ほら男爵の冒険」はその先駆的な作品です。当時としてもレトロな雰囲気を持っていて、また童話的な無邪気さがありました。シリアスでないユーモアと冗談の物語を描くには、下手な現実性や教訓的な内容は必要でないので、この方法は極めて有効でした。テリー・ギリアムもこの手法を取り入れています。彼の作品「未来世紀ブラジル」(Brazil:1985)のような暗さやモンティ・パイソ流のブラック・ユーモア、シニカルさがないのはこのためで、そこもまたカレル・ゼマンへのオマージュであると言う所以です。
カレル・ゼマンの「ほら男爵の冒険」は、技術的にも大変優れたものですが、それ以上に無垢で純真な娯楽性に優れた作品です。カレル・ゼマンがこの作品で伝えたかったのは、純真な心の喜びで、それはカレル・ゼマン自身の人間性に拠るものです。これは後継の作品が継承できなかった特質です。それ故にこの「ほら男爵の冒険」は現代でも輝きを失っていない作品なのです。

Baron Münchhausen:Wikipedia
The Adventures of Baron Munchausen – Terry Gilliam(1988Film):Wikipedia

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