森麻季 – からたちの花

「からたちの花」北原白秋

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげは痛いよ。
青い青い針のとげだよ。
からたちは畑の垣根よ。
いつもいつも通る道だよ。
からたちも秋は実るよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかったよ。

「からたちの花」は作曲:山田耕筰、作詞:北原白秋による童謡です。
1918年(大正7年)に神奈川県小田原に転居した北原白秋は、自ら「木兎(みみずく)の家」と呼んだこの家で多くの童謡や翻訳作品を書きました。北原白秋が住んだ小田原には現在も彼が散策した「からたちの花の小径」水之尾道があります。また、1922年(大正11年)に作曲家山田耕筰の「詩と音楽」が創刊され、山田耕筰と北原白秋は優れた童謡を世に送り出しました。この頃に書いた童謡作品は童謡集「からたちの花」「象の子」として刊行されました。「からたちの花」は幼児体験と小田原の水之尾道のからたちの花に由縁した、大正13年5月13日の作であると北原白秋は「緑の感触」に書いています。この年は白秋が住んでいた小田原も壊滅的な被害を受けた関東大震災の翌年です。この歌の背景にはそうした社会的な要因もあると思います。
大正時代の童謡や童話の隆盛は、大正デモクラシーによる日本の民主化傾向とともに、当時経済格差が広かった地方の子供たちへの音楽、文学による情操教育の意味がありました。音楽家と作家による高潔な志が数多くの傑作を生み、近代の日本人の情操を育んだと言えると思います。

「からたちの花」の歌詞の内容は、山田耕筰と北原白秋の人生経験に根ざしたもので、単純な自然描写ではなく、「からたちの花」に託した叙情詩です。そこには「からたちのとげは痛い」人生の痛み、「青い針のとげ」の排他的で防衛的な気持ちや「秋は実る」「まろいまろい金のたま」の人間としての完成があり、そして、「からたちのそばで泣いた」悲しみのときに「みんなみんなやさしかった」周囲の人たちの親切が自分を育ててくれたことを行間に暗示させています。
蛇足かもしれませんが「まろいまろい金のたま」、「まろい」は単なる丸いではなく、柔和な円さ。「たま」は珠・玉の宝物のように大事に扱ってくれた暗喩です。だからこそ、自分の半生を省みて周囲の人たちの優しさに涙してしまうのです。
頭韻は「a」と「i」で統一されて、また「…よ」で脚韻を踏んでいるのは、他の人と自分自身への呼びかけという普遍性とともに音楽的に広がる余韻の効果をもたらしています。
また、この詩の色彩表現も豊かです。無垢の象徴である「白」、未熟を暗示する「濃緑色・緑」、そして円熟の「金」への変化は、季節や歳月の移り変わりを巧みに表現しています。

童謡作品でも「邪宗門」の冒頭にある「詩の生命は暗示にして単なる事象の説明には非ず。かの筆にも言語にも言ひ尽し難き情趣の限なき振動のうちに幽かなる心霊の欷歔をたづね、縹渺たる音楽の愉楽に憧がれて自己観想の悲哀に誇る、これわが象徴の本旨に非ずや。」の白秋の考えが見て取れます。

童謡を含めて日本の近代に歌謡曲は、メロディと日本語の語感を一致させることを作曲の前提としていたのですが、最近では作為無作為に問わずこれから外れた歌曲が溢れています。また白秋のような優れた感性による詩作に触れることも少ないようです。近代の日本の童謡はこうした点でも優れたものが多いのです。「からたちの花」のように短い詩で豊かな情感を伝えることが日本語では可能ということでもあります。

山田耕筰:Wikipedia
北原白秋:Wikipedia

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