越路吹雪 – 誰もいない海 (’77ver.)

夏の終わりの一曲、越路吹雪さんの「誰もいない海」です。この歌の作曲者は1959年に結婚した内藤法美さんです。1967年に書かれた歌で、シャンソン歌手、大木康子さんが1968年にレコードを出した後、1970年にトワ・エ・モワと越路吹雪さんが競作しました。上の動画は1977年のセルフ・カバー・アルバムのバージョンで、動画に使用されている画像はアルバム・ジャケットです。

越路吹雪さんは宝塚歌劇団を退団した後、東宝専属を経て、1968年にフリーになり、1969年から今では伝説となった日生劇場でのリサイタルを始めました。当時最もチケットが手に入らないこのリサイタルでしたが、70年代後半のある年に観ることができました。たった一度の経験でしたが越路吹雪さんの舞台を見れたのは幸運でした。元々越路吹雪さんの「幸福を売る男」や「ラストダンスは私に」などは好きな歌で、懐かしさもあったのですが、彼女のステージでの圧倒的な存在感は予想を超えるものでした。特に「愛の讃歌」はエディット・ピアフ(Édith Piaf)だけの歌と思っていたことが間違いであることに気付きました。確かにエディット・ピアフの「Hymne à l’amour」は最高のシャンソンです。しかし同時に越路吹雪さんの「愛の讃歌」は彼女にしか歌えない最高の「愛の讃歌」です。その時から「Hymne à l’amour」はエディット・ピアフ、「愛の讃歌」は越路吹雪さん、カバーを超えた越路吹雪さんだけの歌と思っています。また同様に彼女のカバーした歌は、訳詞の岩谷時子さんの功績もあって、原曲とは違った彼女だけの歌になっています。

越路吹雪さんは日本の芸能界で最も成功した歌手のひとりです。まずその芸名の付け方がイイ、吹雪の峠道を超えてゆくなんて粋な気風・心意気が感じられます。その成功は常に自分自身の最高の歌をファンに提供することでした。お金を儲けて贅沢に暮らすために歌うのではなく、大好きな歌を歌うこと自体が人生の意義だったのです。そこには自ずと金銭的な成功や社会的な成功を求める人たちとは一線を画す気品と気概がありました。だからこそ彼女の歌には譜面には書けない「越路吹雪」だけの魅力があったのです。舞台には金銭を惜しまぬスターとしての気風の良さ、その反面で普段の生活は私たち一般市民と変ることなく、夫や家族、友を想う等身大の女性であることのささやかな幸せを大切にした人でした。彼女の人生の真の成功は、きっとこの「良く生きた」ことだと思います。彼女の生き方は私たちに本当の素敵な生き方を教えてくれました。


越路吹雪 – サン・トワ・マミー


越路吹雪 – 雪が降る


越路吹雪 – 「愛の讃歌」~DVD『永遠の越路吹雪/日生劇場リサイタル’70』

越路吹雪:Wikipedia
内藤法美:Wikipedia

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