Trailer “Roma” (Fellini, 1972)


Roma – Il teatro della barafonda

一般的に「フェリーニのローマ」(Roma:1972)は「アマルコルド」とともに、フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini:1920-1993)の自伝的要素が強く出た作品と言われ、この映画を紹介した著作物の多くもそうした評価に立って書かれています。他の原作に拠らず、映画監督自身がオリジナルの脚本を書いて映画を製作する場合は、監督自身の個人的な知識や経験、考え方などが脚本に反映されるのは当然のことですが、これを以って自伝的と言うのは少し無理があります。確かに「フェリーニのローマ」はフェリーニ自身が見てきたローマというものを描き、自身に準えた人物が登場してますが、それは映画の狂言回しとしての物語の語り手であって、自身の内面を表現したものではありません。
ネオ・リアリズム時代のフェリーニ作品は登場人物たちの内面を描き、ある種の分り易いメッセージ性を持っていましたので、評論家たちの多くがこの映画でもこうした意図を読み取ろうとしました。曰く、現代社会の退廃、享楽主義、宗教批判、アナーキズムなどです。こうした論評が的外れなことは映画を見た者であれば直にも分ります。多くの観客がこの映画を見て感じることは、「混沌」のイメージです。フェリーニは正に現代に続くローマという都市の混沌を多面的に、ときには饒舌に描いています。これはカリカチュアライズされた映像によって「混沌のエネルギー」そのものを描いた映画です。
この映画でフェリーニは余りにも情熱的に、ときには不謹慎に、話を作り、嘘をつき、見てきたことやイメージを次々に繰り出します。そうして出来上がったのが、現実のローマを越えた「ローマ」という「混沌のエネルギー」に満ちた虚像の都市とそこに生きる人間のヴァイタリティのイメージです。もしこの映画から何らかのメッセージ性を得るとするならば、「混沌」こそが真に「自由」の源であるということだと思います。誰もが同じ方向を見ながら、同じことを話すグロテクスさを想えば、「混沌」の中にある「自由」の喜びが分ります。「フェリーニのローマ」は1970年代の自由と混沌のエネルギー・バイタリティをフェデリコ・フェリーニが彼らしい表現で描いた映像詩だと思います。
「フェリーニのローマ」に登場する人々、老人や子供、映画の観客たちや売春婦たち、通行人からローマの夜をオートバイで疾走する若者たちまで、その全てがなんと生き生きとしていることか。世の中が主人公に都合よく回っているようなご都合主義の映画にはない、一般の大衆が映画の中で生きています。それはフェデリコ・フェリーニが否定も肯定もしない人々・隣人への愛情表現です。フェリーニにとっては全ての人々の多様な「愚かさ」(個性と言ってもよいのですが)も愛すべきことだったのです。フェリーニ映画のヒュマニズムはそこにこそ在り、それ故に私はフェリーニ映画が好きなのです。

フェデリコ・フェリーニ:Wikipedia
Roma (1972 film):Wikipedia

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