エンリコ・マシアス:Enrico Macias – A Solenzara (live in Tokyo) 1990


レジーナとブルーノ:Régina et Bruno – Solenzara 1966 (コルシカ語)
この歌を聴くと、コルシカ語も美しい言語ですね。

Sur la plage de Solenzara
Nous nous sommes rencontrés
Un pêcheur et sa guitare
Chantaient dans la nuit d’été
Cette douce mélopée
Sur la plage de Solenzara
Chaque soir on a dansé
Et le jour de ton départ
J’ai compris que je t’aimais
Et je ne t’ai plus quité

A Solenzara
Oh! chi dolce felicità
A Solenzara
più bè nun si posta…

Quand j’entends la mélodie
Qui m’a donné tant de joie
Je sais que cette nuit-là
Notre amour a pris sa vie
Au coeur de Solenzara

(Instrumental)

A Solenzara
J’y reviendrai tous les étés
A Solenzara
più bè nun si posta…
più bè nun si posta…

(意訳)

ソレンツァラの浜辺で
私たちは会った
漁師が彼のギターで
夏の夜に歌った
甘いメロディー
ソレンツァラの浜辺で
毎日私たちは踊った
そして別れの日
私は私が愛しているに気付いた
そしてもう離れはしない

ソレンツァラ
ああ!なんて甘い幸せ
ソレンツァラ
そこに勝るものはない…

メロディーが聞こえるとき
それは私に大きな喜び与えた
私は知っているその夜
私たちの愛が命を得たのを
ソレンツァラの心で

(インストゥルメンタル)

ソレンツァラ
私は夏にはかならず戻るだろう
ソレンツァラ
そこに勝るものはない…
そこに勝るものはない…


(ソレンツァラ観光に興味がある人向けのグーグル・マップです。)

エンリコ・マシアス(Enrico Macias:1938-)の歌った「想い出のソレンツァラ」(A Solenzara)です。日本ではシャンソンとして越路吹雪や岸洋子など多くの歌手が、またギター演奏でクロード・チアリがカバーして親しまれています。

ソレンツァラはナポレオン・ボナパルトが生まれたフランス領(コルス地方公共団体 :Collectivité Territoriale de Corse, CTC)の島、コルシカ(Corsica、Corse)の南東に位置するビーチ・リゾート、ハーバーがある観光地、漁港の町の地名です。
歌詞はソレンツァラでの出会い、恋の成就と別れ、この地での再会を誓う気持ちなどが歌われています。日本語の歌詞はほとんど原詞に近いものです。原詞の作詞者Dominique Marfisi(1902-1973)はコルシカ生まれのソングライターですので、郷土愛を込めて、フランス語やイタリア語ではなく敢えてこの歌をコルシカ語で作ったのだと思います。1965年にシャモニー(Le Chamois)のコンクールでグランプリを獲り、やはりコルシカの夫婦デュエット「レジーナとブルーノ」(Régina et Bruno)が歌い地元でのヒットとなりました。これをエンリコ・マシアスが原詩のコルシカ語から、サビの部分を残して、フランス語に訳して歌い、全仏ヒットから世界的な大ヒットとなりました。もとろんそれはエンリコ・マシアスのギターと歌唱が、この歌を魅力を最大限に引き出した結果だと思います。

エンリコ・マシアスはアルジェリア生まれのユダヤ系フランス人で、アルジェリア独立時に本国に帰還したピエ・ノワールと呼ばれる引揚者で、活動の始めから彼を支持したのはピエ・ノワールの人たちです。「思い出のソレンツァラ」のヒットも最初はこの人たちの間でヒットしました。エンリコ・マシアスのもうひとつの忘れられない歌に「恋ごころ」(L’amour C’est Pour Rien=愛、何ものにも代えられないもの)があります。この歌も日本では永田文夫が日本語の歌詞を付けて「恋ごころ」、やるせないような男女の「恋」の歌にしてヒットしましたが、本来の歌詞はアルジェリア独立闘争の中で作られた、人間の「至上の愛」を歌ったものです。歌を輸入した際には、本来の歌詞とはかけ離れたものになる例はよくあるのですが、これはまるで違った感じの歌になっていました。
エンリコ・マシアスはアルジェリア独立の時と同様に、イスラエル支援と同時にアラブとユダヤの平和共存、共生を訴える多くの歌に託して歌っています。またその政治的姿勢ゆえに、彼を支持する層と反対する層が別れている人でもあります。


Enrico Macias – 「恋ごころ」L’amour C’est Pour Rien(=愛、何ものにも代えられないもの)
越路吹雪や岸洋子もカバーした「恋ごころ」です。


Enrico Macias – 「私の最後のチャンス」Ma Dernier Chance 1963
原曲は中村八大と永六輔の「遠くへ行きたい」です。歌詞はまるで違いますが、これも人生を歌って、なかなか良い歌詞です。(このカバーは、日本では「遠くへ行きたい」のままシングルが発売されました。)

J’ai joue ma foi,sur parole
Et mise sur la verite
J’ai perdu versant mon oboie
Au tonc de la verite
J’ai ma vie pour toute fortune
Et mon coeur pour seul compagnon
J’ai seme mes joies une a une
Dans la sable des passions
Et maintenant tel un enfant
J’espare en criant
Je charche en tremblant
Ou es-tu,ma derniere chance
En enfer ou en paradis
Sous la pluie de la deliurance
Je t’appelle dans la nuit
Qui es-tu ,ma derniere chance
La vertu,la haine ou l’argent
Serais-tu la mort,la souffrance
Raponds vita je t’attends
Viens,viens enfin
Sur mon chemin
Je tends les deux mains
Vers toi,vers demain
Oh! merci,ma derniere chance
Tu es la,dans le petit jour
Au solail de mes esperances
Et c’est toi,toi mon amour

Enrico Macias:Wikipedia

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