Maria Callas – O mio babbino caro – Gianni Schicci – Giacomo Puccini

20世紀最高のイタリアン・オペラのディーバ(歌姫)マリア・カラス(Maria Callas、1923年12月2日-1977年9月16日)です。

プッチーニ作曲のイタリアのトスカーナ州フィレンツェを舞台にした歌劇『ジャンニ・スキッキ』(Gianni Schicchi)の劇中歌、スキッキの娘、ラウレッタが歌う『私のお父さん』です。この歌はマリア・カラスがベストだと思います。高音域の透明感のあるふくよかでよく通る響きのソプラノ、低、中音部の重厚な響きでメゾソプラノのような声量は、マリア・カラスの天性のものです。『ソプラノ・ドラマティコ・ダジリタ』という、アジリタの完璧な技巧、劇的な表現力をもち、なんでも歌える声の持ち主です。『ソプラノ・ドラマティコ・ダジリタ』はごく稀にあらわれるもので、その声も短い期間しか持ちません。マリア・カラスのこの宝石のような声も僅か20年余りのものでした。マリア・カラスの年齢や生活に因り短くなったと言う人もいますが、(ゴシップは省略します。)声量の衰えとともに彼女は伝説の中に隠れて行きました。それだけに、彼女の最良な歌声を聴いた人は幸運だったと言えます。マリア・カラスを超えるソプラノ歌手は、未だ現れていないと言われています。その彼女の最良の歌のひとつがこの「私のお父さん」です。喩えるならば、「20世紀に収穫された最良の稀少ワインの芳醇な一口」です。
この歌では、ラウレッタが恋のためなら愛する父親に背いてまで自殺してしまいますと、父ジャンニ・スキッキを脅かし、懇願しています。想いを遂げたいという女性の強さ、情熱が聴く者に伝わります。よく学校では、歌の詩の内容に自殺をほのめかしていることから、切実で悲しい歌だと教えているようです。クラシック=厳格というイメージでしょうか?しかしそんな固定的な考え方が、クラシックを楽しむことを阻害する元になります。歌劇『ジャンニ・スキッキ』はハッピーエンドの歌劇なので、この歌にも悲壮感はありません。「ポルタ・ロッサ(通り)へ行って指輪を買いたい。」と「身を焦がす想いが苦しくて、死んでしまいたい。」では、感情が矛盾していますよね。そう、恋人と一緒になりたいと夢見ながら、「許してくれないなら私、死んじゃうから」と父親にダダをこねている娘です。本当は父親を愛していて、その寛容さに甘えたい娘、父ジャンニ・スキッキも、困った娘だと思いながらも、そんな娘が可愛くて仕方ない、という微笑ましい幸福感があります。それがこの歌が多くの人に愛されている理由です。
マリア・カラスは、この父親に少し甘えながら、大人ぶって脅かしている娘の複雑な感情を、オーバーにならず、むしろ抑えた表現で歌っています。それがマリア・カラスの現代性と言えます。歌劇が歌による劇だという当たり前のこと、歌手であると同時に女優であることが大切だということを、マリア・カラスは教えてくれました。

「私のお父さん」(O mio babbino caro:歌詞)

O mio babbino caro,
Mi piace, e bello bello,
Vo andare in porta rossa
A comperar l anello!
Si,si ci voglio andare
E se l amassi indarno
Andrei sui ponte vecchio
Ma per buttaarmi in arno!
Mi struggo e mi tormento!
O dio, vorrei morir!
Babbo, pieta, pieta!
Babbo, pieta, pieta!

「私のお父さん」(O mio babbino caro:訳詞)

ああ愛するお父さん
私は彼を愛してます、とても素敵なひとなの
だからポルタ・ロッサ(通り)へ行きたいの
指輪を買いたいの!
そうよ、とても行きたいの
そして、私の恋が叶わないなら
私はポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)に行って
アルノ川に身を投げるつもりよ!
身を焦がす想いがとても苦しいの!
ああ神さま、私はむしろ死んでしまいたいのです!
お父さん、分かって、お願い!
お父さん、分かって、お願い!


ポンテヴェッキオ
フィレンツェの観光名所「ポンテ・ヴェッキオ」、近くにはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)やガリレオ・ガリレイの功績を展示している科学史博物館(Museo Di Storia Della Scienza)などがあります。この橋の下を流れるのがアルノ川です。身を投げるには賑やかすぎる繁華な場所です。ですから、観客はこの歌が悲しいものでないことが、すぐに分ります。「ポンテ・ヴェッキオに行って、アルノ川に身を投げるつもりよ。」は誇張した表現で、絶望的な深刻さはありません。そして観客はこの歌が悲しいものでないことがすぐに分ります。

Amira Willighagen – “O Mio Babbino Caro” (Lecce, Italy) May 28, 2016
2013年10月にオランダの「ゴットタレント」で優勝したアミラ・ウィライアージです。イタリア人はこの歌を良く知っていて愛しているからこその反響ですね。この幸福感こそプッチーニが書きたかったもの、そしてマリア・カラスの感情表現が次世代に受け継がれていくものだと思います。

マリア・カラスWikipedia
ジャンニ・スキッキWikipedia

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