「太湖船」は陝北民歌(陝北に伝わる民謡、わらべ歌)で歌詞を付けて歌われ、中国の子供たちが小学生で習う唱歌になっています。また、その優しいメロディーから二胡による演奏曲としても高い人気があります。一方、古謡としてはこの地方の漁民たちの厳しい生活を歌ったものという側面もあったということです。

李香蘭(山口淑子さん)の「夢の太湖船」は、この童謡を歌謡曲としてアレンジしたもので、戦前の満州国の満州映画協会(通称満映)が日本から人材を呼んで作られました。これは戦前の中国趣味の影響によって翻案された中国歌謡の中の一曲です。満映は映画だけでなく、大衆向け歌曲も作っていました。また、オーケストラ、演奏家、制作スタッフ、技術者の育成、劇場、映画館の整備など多岐に亘って、満州・中国本土での文化振興事業を行っていました。日本の敗戦と満州国崩壊によって接収された設備・機材などは、満州に残った中国人スタッフらによって活用され、後の中国映画・音楽の発展にも寄与しました。満映というと、戦前のプロパガンダ映画制作会社という悪いイメージの側面を教わった人も多いと思いますが、その功罪は正しく判断されるべきだと思います。当時の各国のプロパガンダに比べれば、満映映画はまだまだ良心的な範疇でした。また、当時の奉天(現在の瀋陽市)や大連の美しく整備された都市景観は、清岡卓行の1969年の芥川賞受賞作品「アカシヤの大連」にも描写されていました。閑話休題。日中戦争や満州国のことは、この記事の趣旨ではありませんので、話を曲の紹介に戻します。

李香蘭の「夢の太湖船」にはプロパガンダの要素まったくありません。「蘇州夜曲」も同様で、ここに描かれているのは、人々が想い浮かべる平穏さや郷愁の中にある優しさです。それさえ、同化・融和政策の罠だと言ってしまっては話は進みません。昔、亡くなった祖母がこの歌と「滿洲姑娘(満洲娘)」を愛唱していましたので、日本国内での認知度、そして満州国への関心度も相当高かったのだと思います。それと同時に中国での李香蘭は高く、云わば広い中国の一地方の民謡を国中に広めるきっかけともなりました。ちなみに、李香蘭を見たさに日劇(現:有楽町マリオン)では、七周半を周るほどの観客があったという人気振りでした。

次に、楽曲で日中の架け橋になった人が、胡美芳(こ びほう:日本名:周 朝子さん)です。胡美芳は数多くの楽曲を通じて文化交流に寄与しました。彼女は日本生まれの中国人で、戦後、中国政府が封印した日本の楽曲を再び紹介していきました。後にキリスト教に入信しましたが、忘れつつあった中国人としての情感を伝えたいという、強い使命感を持っていた人だったと思います。彼女は「夢の太湖船」の別の歌詞を自ら作り歌いました。それもバイリンガルとしての使命感の現れであったと思います。

20世紀の中国は、時代時代にその時々の政策によって、戦前の歌謡曲の多くが封印されていましたが、その形を変えつつも時の流れのともに徐々に復権されてきました。そして現在、その流れはもう誰も止められません。それだけ人々の心に残った歌曲というものが持つ力は根強いということだと思います。中国の人たちは、時代の流れに失われた文化・情緒の再構築を望んでいるという面もあるのかもしれません。また一方で、日本人にとっては、長い歴史を通して醸成された中国趣味の憧れというものが残っています。そうした意味を考えると、この歌は日中両国が共有した往年の『夢』の太湖船だったと思います。

李香蘭 – 夢の太湖船 1940 李香蘭20歳の歌声です。-对太湖的梦船(梦=夢:で、夢の太湖船)

【夢の太湖船】
詞:島田磬也  曲:佐渡暁夫 昭和15年(1940)

碧い太湖に 夕日が沈みゃ
唄いたいのか さざ波よ
夢もほのかな うす紅つけて
クーニャン クーニャン あのえくぼ
乙女心よ 太湖船

可愛い前髪 胡弓をひけば
金の耳環も 二日月
誰をやさしく 夢みる瞳
クーニャン クーニャン 水鏡
パイホア浮かべた 太湖船

花のチイパオ アカシヤ並木
巡るマーチョも 夢心地
笑顔みせれば ささやく水が
クーニャン クーニャン 呼びかける
唄も懐かし 太湖船

※太湖は江蘇省南部と浙江省北部の境界にある、面積2250 km²の大きな湖。(ちなみに琵琶湖の面積は670.4 km²、太湖はその約3.4倍)
中国政府の国家重点風景名勝区。周辺都市には蘇州市、無錫市、湖州市があり、上海市もわりあい近く観光地としても有名です。
※クーニャン(姑娘:未婚の娘)
※二日月(陰暦2日の月。2 8月2日の月:三日月より細い弓のような形状)(金のイアリングと形の良い細い眉毛を同時に形容?)
※パイホア(百花)
※チイパオ(旗袍:満州族の婦女が着た服、いわゆるチャイナドレス)
※アカシヤ並木(昔の中国の一般てきな街路樹は松。並木道にアカシヤが植えられたのは、1930年台以降に上海租界や青島、大連などの新興都市でインフラ整備が進んだ影響)
※マーチョ(馬車)
※三節は近代化されつつある女性と街のイメージです。この部分は満映映画の李香蘭イメージが出ています。

夢の太湖船 – 胡美芳

【夢の太湖船 – 胡美芳 .作詞:胡美芳】

柳が芽をふいて 小鳥が唄う
太湖の水に
心を語る 二人を乗せて
たゆとう小船

天上旭日初昇 湖面好太湖船
揺蕩着漁船映江中
紅男緑女互訴情衷 心相印意相同
恍如夢的太湖船

二人の影が ひとつに揺れて
静かな水面
なやみや悲しみ いつしか忘れ
夢みる太湖船

※なやみや悲しみ いつしか忘れ(「太湖船」は古謡から童謡に変化する過程で、現実的な生活の厳しさを表現した文言は消えていったようですが、胡美芳はこの一行だけはこの歌の歴史として残しておきたかったのかもしれません)

太湖船(北京語)

【太湖船 作詞作曲不詳】

山青水明幽靜靜
hān qīngshuǐ míng yōujìng jìng
湖心飄來風一陣
hú xīn piāo lái fēng yīzhèn
啊~行啊行啊 進呀進
ya xíng ya xíng ya jìn ya jìn

黃昏時候人行少
huánghūn shíhòu rénxíng shǎo
半空月影水面搖
bànkōng yuèyǐng shuǐmiàn yáo
啊~行啊行啊 進呀進
ya xíng ya xíng ya jìn ya jìn

水草茫茫太湖岸
shuǐcǎo màn man tài hú’àn
飄來陣陣蘆花香
piāo lái zhèn zhèn lúhuā xiāng
啊~行啊行啊 進呀進
ya xíng ya xíng ya jìn ya jìn

水色山光映斜陽
shuǐ sè shān guāng yíng xiéyáng
湖面點點是帆影
húmiàn diǎndiǎn shì fānyǐng
啊~行啊行啊 進呀進
ya xíng ya xíng ya jìn ya jìn

歌ってみたい人用にピンイン【拼音】も掲載しました。

【意訳】

山青く水明るく幽かな静かさ
湖の中心に一陣の風が吹き抜ける
さあ行け行け、さあ進め進め

黄昏時は行き交う人もまばら
空の半ばに懸かる月影が水面に揺れる
さあ行け行け、さあ進め進め

水草が生い茂る太湖の岸辺
風が来て吹き付けて蘆の花が香る
さあ行け行け、さあ進め進め

水の色や山の光が傾く陽に映える
湖面には帆かけ舟の影が点々とある
さあ行け行け、さあ進め進め

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